日本ではよく使われる、「…のおかげ」や「お世話になった」という言葉。
それらの言葉(慣習)は、人と人とのつながり(絆)を強化するという良い側面があり、日本特有の文化を形成する重要な要素にもなっている。
しかし残念ながら、それが悪い方向へ向かってしまっていると思われるところがあるのも知っている。「…のおかげ」は、悪く言ってしまえば依存、馴れ合いにつながる部分もある。
その例はいくつかあるが、1つ目に挙げられるのは、できればしばらく取り上げることがないようにしたい、原子力発電。昨年発生した福島第一原発事故では、事故対応への不手際、放射性物質の飛散、それに伴う農作物への影響、風評被害などが問題となり、脱原発運動は一層高まったが、一方でそれでも「原発は必要」との意見、さらには「原発で発電された電気を使っているだろう」「原発がなくなったら雇用はどうするんだ」という考えも時々、目にしている。
事故が発生したことと、だから原発を廃止すべきという考え方は、必ずしも一体化できるものではないし、時には切り離して考えるべきであろう。しかし、事故の深刻度がレベル7となり、また当初温室効果ガスを排出せず、しかもコストが安いとされながら結果的に利益が消え、電力会社も住民も大きな損失を被ることになったにも拘わらず原発存続の意見が出てくるのはあまり望ましくないことであり(とりわけ経団連)、そのような考えは、問題の解決を遅らせ、より安全な日本を作る機会を逃すことにもなりかねない。
これはたばこに関しても同じようなことが言えるかもしれない。健康志向の高まりなどもあって、たばこ税が引き上げられ、禁煙が事実上推奨されるようになったが、反対にたばこ農家やたばこ会社(JT)の雇用をどうするのかという問題も出ている。また、喫煙者は税を払って国に貢献しているんだ、という意見もあることだろう。
たばこ栽培を直ちに他の作物にシフトさせることは難しいかもしれない。ただ、雇用や目先の収益に重点を置き過ぎると、たいてい良い方向にはいかなくなる。また、たとえ税金を納めていても、一方で喫煙に起因する病気(それ以外もあるが)を治療するための医療費がかかっている。
雇用対策は、景気対策に必ずと言ってよいほど使われる手段であるし、必要な手段である。しかし、社会全体に対して悪い効用のほうが良い効用よりも多く生み出している企業に雇用が増えたとしても、一時的には解決するであろうが、長期的には経済成長に貢献しないかもしれない。
よく就職活動中に学生に対して「選ばなければどこでも入れる」と言う人がいるが、僕にしてみればこれほど無責任なことはないのではないかと思うことがある。学生全員を就職させるためなら、一般的に悪い効用のほうが多い企業に就職させることが果たして良いことなのか、ということである。
これらのことと、「…のおかげ」とは直接関係あるのか、という疑問が出てくるだろう。僕としては、これは間接的に「おかげ」の文化が生み出した悪い一面なのではないかと思っている。
余談であるが、震災への復興財源に充てるためのたばこ税増税が、かえって税収が減るなどの理由で見送られたが、たばこ税を増税するか否かは、復興財源とするかどうかで決めることではないような気がしている。なぜなら、たばこ税は本来税収を増やす性格のものではないからである(復興財源にすること自体は反対しない)。